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『パラノーマル・アクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT』を観た

パラノーマル・アクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT

アメリカ・サンディエゴのあるホームビデオの出来事から4年後の2010年、東京で車椅子の生活を余儀なくされていた山野家の姉・春花(青山倫子)は、ある朝車椅子が不自然に移動していることに気づく。はじめ弟・幸一(中村蒼)のいたずらと決め付けていたが、幸一の説得で一晩中カメラを回して撮ったその映像には衝撃の映像が映されていた。

アメリカでヒットした低制作費ホラー映画「パラノーマル・アクティビティ」のスピンオフ日本版。
 
元の映画はモキュメンタリー(架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法)で、

ゲームデザイナーのオーレン・ペリが監督・脚本を務めた自主製作映画である。製作費がわずか1万5千ドル[1]と低予算であり、映画全編が監督の自宅で撮影され、7日間で完了した[2]。さらに編集作業は監督が所有するパソコンを使って行われた。
当然ながら監督もキャストもすべて無名の人物である

パラノーマル・アクティビティ

ということだったらしい。モキュメンタリーというスタイルを取るならば出演者は無名の人間に
するべきだったのではないかと思ったり… 

中村蒼も上手いってほどでもないが青山倫子がちょっとアレ過ぎたなw それ以前に全然ドキュメンタリー風映像には見えなかったなぁ。

元々の映画を観ていないのでよくわからないが、釣り糸かなんかで引っ張った十字架がしょぼく燃えたり、突然大きい音を出して驚かしたりするような内容なんだろうか?


アレを中途半端に隠したりするところに製作者側の「これ入れたら評価されるんじゃないか」という感じの人間臭い顕示欲的なモノを感じた。悪魔が何故アレを隠さないといけないのか、隠したわけではないのなら、何故アレはあんな状態だったのかについての疑問が残る。

その他にもどうやって追いついたの?とか入れ替えたにしてもいつ殺したの?それは事件にならなかったの?とか最初にあった死体がなくなって問題にならなかったの?とかそういう疑問だけが残る映画だった。その辺の全てが悪魔や悪霊の力で可能だったと言うなら、なんで今まで殺されてなかったのかよくわからないし、あんな追いかける必要も待ち伏せする必要もないだろう。

いくらホラー映画だからっていい加減過ぎるような気がした。
超常現象で片付けるのは構わないがせめて世界が完結していて、その世界で論理的に成立していないと話としては駄目だろう。ホラーだったら何でも理不尽で良いというわけではない。

世界が完結しているというか説得力がないと物語としては駄目だ。
そういうのを全て吹き飛ばすくらいの何かがあるなら話は別になってくるが、この映画にはそれがなかった。


「映画館で観たら…」とか「電気を消して一人で観たら…」という人は居るが、これ昔ながらの突然音を出してびっくりさせるだけのチープな手法の映画だから、ホラーじゃなくてただのサプライズ映画だな。そういうのが好きな人なら観てもいいかなとは思うが。

『波止場』を観た

波止場

テリー(マーロン・ブランド)は元ボクサーだが、今は波止場で荷役をする日雇い労働者であった。テリーはある日、地元のギャングであるジョニー(リー・J・コッブ)の命令で、古い友人を呼び出し、結果的に殺害に関与してしまう。波止場を牛耳るジョニーが自分の立場を脅かす存在を次々と殺していくことに皆怯え、テリーも逆らえずに居た。しかしテリーは信念に基づき生きることに目覚めていく。

ぼちぼち面白かったけど、絶賛するほどでもない感じだった(・∀・)

観ている時代や国の違いがあるからかな?
あんまり社会派っていうような感じがしなかったなぁ。当時のアメリカではこういう波止場の荷役絡みで問題はあったようだが、別にテリーは正義に目覚めてジョニーに立ち向かったわけでもないので、「社会派なの(´・ω・`)?」というのが観了後の素直な感想だったりするw


友達のジョーイを呼び出して、彼が殺されるきっかけを作ってしまったテリーは初めは保身の為に事の真相を語らずに済まそうとしていたが、ジョーイの妹のイディ(エヴァ・マリー・セイント)と恋に落ち、いちゃいちゃしているうちに、出会い、彼女の悲しみに触れているうちに、また、バリイ神父(カール・モルデン)の口車に乗り、説得により、悩み始めるわけだが、最終的に証言を決めた大元のきっかけは別なんだよなぁ(・∀・)

「スミス都へ行く」でもそうだったけど、この頃のアメリカと鳩は密接な関係を持っていたんだな。この作品の場合では象徴を表す為に使われただけなのかもしれないけど。象徴といえばジョーイのジャケットは勇気の象徴なのかな。


この映画の一番の阿藤快ポイントはイディだなw
最初は「兄さんを殺した犯人を見つけてやるヽ(`Д´)ノ」って金田一少年か名探偵コナン並にやる気満々だったのに、すぐにテリーと良い感じになって、挙句の果て「二人でこの街を出ましょう」とか言い出したりして、ジョーイも浮かばれないなぁと思ったり(´・ω・`) ナンダカナァ

一応話全体を見て、かつ好意的に見るのであれば、バリィ神父の呼びかけがあったからこそ最後の流れにつながったり、テリーを翻心させることが出来たと思えなくもないけど、この人自体は大したことしてないよねと思ってしまった(ノ∀`)

そういえば酒場での説得の時に映った額付き写真に写っているのはジョニーとつながってる政治家かなんかかな? 公聴会の中継シーンの時に、ジョニーからの連絡は受けるなみたいなことを言った人か。組合の小屋にも同じ写真がかかっていたような気がする。


ジョニーという存在やそれに従う人々の気持ちもわからないでもない。
大体現実の世界で生きている人なら普通は事なかれ主義になり、告発者は爪弾きになるもんだ。それが是か非かはともかくも。

現実の話はおいておいて映画の中で証言後に爪弾きになっている時、他の港湾労働者達の表情に後ろめたさが感じられないのに、ジョニーとの対決後に急激にテリー寄りになるのはなんかちょっと変な気がした。

日和見主義なのだろうか。まあこれも現実に即しているのかw


この映画の監督であるエリア・カザン

1952年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるエリア・カザンも共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために司法取引し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に表した。

というようなことをしているらしい。

この映画の中のテリーはエリア・カザンであり、ジョニーや港湾労働者は共産主義者達や同じ映画業界の人々であり、公聴会での証言はアメリカ下院非米活動委員会への報告ということなんだろうか?

テリーが満身創痍でいつもの仕事場へ向かう姿は、行為への批判を受けたエリア・カザンがこの後も変わらず”生きていく”ということをかぶせて表明したかったから挿入したんだろうか。


マーロン・ブランドって後のゴッドファーザーなんだねぇ。
観たことないから、よく知らないけどマフィア物だっけか。
どっちかというとジョニーサイドな役をやるんだなw

『息子』を観た

息子

岩手県の山奥で暮らす父親と、都会でフリーターを続ける息子との葛藤と心の変化を描いた社会派ドラマ。

観ていて結構楽しめたが、"都会でフリーターを続ける息子との葛藤と心の変化を描いた社会派ドラマ"という点には首を傾げてしまうw

あらすじはちょっと改変すると

東京でフリーター生活を送る哲夫(永瀬正敏)は、母の一周忌で帰った故郷の岩手でその不安定な生活を父の昭男(永瀬正敏)に戒められて喧嘩する。帰京後、哲夫は下町の鉄工所で働き始めたものの、その仕事のきつさに即日で辞めそうになるが、取引先で出会った征子(和久井映見)という美しい女性に一目惚れし、バイトを継続することにしたのだが…

みたいな感じ。


細かいことは忘れたが3章くらいに分かれていて、それぞれ「息子の帰郷」「息子の恋」「父の上京」というタイトルだったかな? 話の流れが時間的に飛ぶ場合はこの手法は有りかもしれない。但し時系列が正しい順番の時に限るが。

哲夫にはサラリーマンとして働き、妻子を持つ兄・忠司(田中隆三)が居る。
独居老人である父を案じ、引き取ることを視野に入れてマンションを購入してるのだが、なんだか扱いが悪いw 同じ"息子"なんだけれども、この映画のタイトルである"息子"からは対象外のようにも思える。

「息子の恋」ではいかりや長介、田中邦衛、中村メイコ等々が出て来て無駄に濃いいが見応えはあるw 今の映画にはない濃厚さだな。

「父の上京」では戦友会の為に上京してきた昭男が忠司のマンションに泊まり、丁重にもてなされるも気詰まりするのに対し、朗報があったからとはいえ哲夫の家で伸び伸びとしている様は非常に対照的だった。

征子を送って行った時の哲夫とのやり取りや哲夫の家で眠れない昭男や三人でショッピングするシーンは非常に観ていて楽しかった(・∀・)
三國連太郎が可愛いスーさんモードだったw

ラストはどう解釈すべきなのか。かつて出稼ぎから帰ってきた時の家族の団らんを単純に思い出しているのか、東京で感じた"家族"の感覚に、自分の中で消えていた"家族"に対する想いが再び灯ったのか。

或いは息子が新たな"家族"を作ることを喜び、それによって今は亡き、かつての自分の"家族"に想いを馳せたのか。


色んな賞を獲得したらしいが、そこまで凄いものとも思わない。
とはいえ題材が題材だけに色んな年齢層の人に何かを考えさせるトリガーが存在しているので、そういう意味では気に入る人は多いかもしれない。

まあでもあっさり風味かもなぁ(・∀・)

『野獣死すべし』を観た

野獣死すべし

ある大雨の夜、東京都内で警視庁捜査第一課の岡田警部補(青木義朗)が刺殺され、拳銃を奪われる事件が起きた。更にその直後、その拳銃を使用した違法カジノ強盗殺人事件が発生、世間は騒然となる。その犯人は、数々の戦場で地獄を見てきた大手通信社外信部記者の伊達邦彦(松田優作)だった。伊達は東京外国語大学卒のエリートで頭脳明晰、射撃の心得もある。現在は通信社を退職し、翻訳家をしながら趣味である読書とクラシック音楽鑑賞に没頭、社会とは隔絶した生活を送っていた。

んー(・∀・)?
蘇る金狼」よりかは主人公の性格というか行動に根拠があったけど、話全体を見ると( ゚Д゚)ポカーンな話のような気がしないでもない。

最初の30分くらいは退屈でしょうがなかった。松田優作の熱演は良かったが、結局それだけの映画というか映画未満というか独り舞台みたいな感じだった。
下手するとただのコントみたいにも見えるw

ネタバレになってしまうが、結局この話は戦場で悲惨な体験をし、殺人まで犯してしまった男が日本で起こした一連の事件に過ぎない。一応殺人の快感を覚えたと言っているが、一度犯した殺人を正当化する為に防衛機制が暴走した結果のようにも思えた。もしかしたらだがテーマとして反戦や海外の戦争に無関心な日本に対する批判も多少あったのかもしれない。


同窓会シーンで岩城滉一が出ていたが相変わらずの酷さであったが、真田徹夫役の鹿賀丈史は良かった。同窓会シーンでボーイである鹿賀丈史と喧嘩する東条は阿藤快だった(・∀・) ナンダカナァ

刑事の柏木秀行(室田日出男)も良かったかな。銃の売人は佐藤慶だったか。

華田令子役の小林麻美って名前は知ってるけどあんまり観た記憶がない。
田辺エージェンシーの社長と結婚して引退したというのもあるが、何故かドラマにゲスト出演した回などがDVDに収録されていなかったりしていて見かける機会が少ないからかな?その辺は田辺エージェンシーからの圧力のような物があるんだろうか?

銀座ジュエルの永友さん可哀想(´・ω・`) この役をやっていた草薙幸二郎って人は「うた魂♪」で主人公を嫌っていたレナの祖父役や「Wの悲劇」で劇団員役、「蘇る金狼」で専務役だったようだが、全く覚えていない(ノ∀`) 

序盤の方でおなぬ部屋?で女の人の裸があったよ(´・ω・)
終盤でも一応おっぱいあったよ(
´・ω・)


映画の終盤に出てくるお話は短編小説由来なのか。あれは何を意味してたんだろう。
殺人を犯して日本に帰ってきた伊達自身の狂気と世間との乖離とかその辺を意味してたんだろうか。よくわからない。

『リップ・ヴァン・ウィンクル』(Rip van Winkle)は、19世紀アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる短編小説。
(略)
リップ・ヴァン・ウィンクルは、アメリカにおいては伝説的な人物とされており、「時代遅れの人」の代名詞にもなっている。
この物語はまさに「アメリカ版浦島太郎」と言うべきもので、「主人公にとってはいくらも経っていないのに、世間ではいつの間にか長い時が過ぎ去っていた」という基本的な筋の類似性から、「西洋浦島」とも呼ばれている。
リップ・ヴァン・ウィンクル

コンサート後に眠りから目覚めると一人なのはこのリップ・ヴァン・ウィンクルの話とかけてるのかな? ラストは警察隊かなんかの狙撃が正しいんじゃないかな?

カメラの撮影が狙撃隊っぽいし、柏木の幽霊らしきものを見るのは刑事の執念みたいなものを暗示しているような気がする。もっともなぜ逮捕せずに射殺したのかと言われると上手い回答はないw


松田優作が好きな人なら観てもいいのかなくらいで。