カテゴリー: 映画

『アイム・ノット・ゼア』を途中まで観た

アイム・ノット・ゼア

パス(・∀・)


ボブ・ディランの体験したことや人格的特徴を分割して、それを6人の俳優がそれぞれ架空の存在として演ずる感じの映画なのだが、ボブ・ディランの歌もよく知らないし、興味が全くない俺氏にこの映画は苦痛極まりなかったよ (ヽ'ω`)

洋画で初めてのギブアップ…_| ̄|○

一応、観る前の紹介文にボブ・ディランという単語があったのと、冒頭の6人の特徴の紹介と余りにも繋がらない人物関係等で各人がボブ・ディランの何かを示してるのかなとか、病院に居た人が
本当のウディ・ガスリーなのかなと思いつつ観ていたが、段々、苦痛になってきたのでビリーザキッド?のところで観るのを止めた(ノ∀`)

ボブ・ディラン本人が公認していたり、ボブ・ディランのファンの人には評価が高かったりするようだが、興味のない人には結構きついんじゃないかな。

監督が同じ「ベルベット・ゴールドマイン」はなんやかんやで最後まで観られたけど、
これはちょっとあかんかったw

ほんのちょっとおっぱい出てたよ(*´・ω・)

『カンガルー・ジャック』を観た

カンガルー・ジャック

あらすじは

ニューヨークで暮らす美容師のチャーリー(ジェリー・オコンネル)には20年来の親友が居た。名前はルイス(アンソニー・アンダーソン)。彼は少年時代に溺れてかけていたチャーリーを救ってくれた命の恩人であった。この事故で命を救われたことはチャーリーにとって幸運であったが、また不幸の始まりでもあった。以降、ルイスは事あるごとにこのことを持ち出し、頼み事をしてはチャーリーを事件に巻き込むのであった。今回の発端もまたルイスの頼み事を引き受けたことによる。紆余曲折の果てに二人の所業は、チャーリーの継父にしてマフィアのボスであるサル・マッジオ(クリストファー・ウォーケン)の稼ぎに甚大な被害を与えてしまう。今回の件を水に流す代わりにサルは二人にオーストラリアのミスター・スミスへのブツの移送を命じるのだが…

みたいな感じ

お馬鹿映画だったので普通に楽しめた(・∀・)
ただ一つ問題が…
 
 
 
 
 
 
 
   
 
これ昔観たことあるわ…_| ̄|○
サルが出て来た辺りで気づいたが、まあいいやと最後まで観た(ノ∀`)

前振りの後にすぐにネタを消化するような作りでベタと言えばベタな展開がずっと続くw

ただのコメディと見せかけてストーリーの軸はチャーリーの成長と二人の友情かな。話自体は全然違うがチャーリーとルイスの構造は「クラーク」に似ている気がする。

ボロ(ボーラ)や百合の実のネタも綺麗に消化していてコンパクトにまとめられていた。
ダイブも笑った。

お色気はジェシー役のエステラ・ウォーレンの太ももと着衣水浴びくらいだったよ(´・ω・`)

カンガルーのCGとかはあんまり合わなかった。一応売りの一つだとは思うのだがw

imdbのレビューには、「カンガルーの映画と勘違いしたヽ(Д´)ノ」とか「子供向け映画のように宣伝しておいて下ネタとかホモネタがあるなんてヽ(Д´)ノ」みたいなのがあったw

確かにこれはカンガルーがメインの映画じゃないし、子供向け映画じゃないなw


チャーリー・カーボン役のジェリー・オコンネルって「スタンド・バイ・ミー」の子役達の一人なのか。他の出演作は観たことないな。

ルイス・ブッカー役のアンソニー・アンダーソンもジェシー役のエステラ・ウォーレンも知らないなぁ。

ブルー役のビル・ハンターは3年前に亡くなったのか(´・ω・`)
オーストラリアでは有名な俳優だったらしい。
味のある風貌だったな。


まあお馬鹿映画が好きなら、くらいかな(・∀・)

『パラノーマル・アクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT』を観た

パラノーマル・アクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT

アメリカ・サンディエゴのあるホームビデオの出来事から4年後の2010年、東京で車椅子の生活を余儀なくされていた山野家の姉・春花(青山倫子)は、ある朝車椅子が不自然に移動していることに気づく。はじめ弟・幸一(中村蒼)のいたずらと決め付けていたが、幸一の説得で一晩中カメラを回して撮ったその映像には衝撃の映像が映されていた。

アメリカでヒットした低制作費ホラー映画「パラノーマル・アクティビティ」のスピンオフ日本版。
 
元の映画はモキュメンタリー(架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法)で、

ゲームデザイナーのオーレン・ペリが監督・脚本を務めた自主製作映画である。製作費がわずか1万5千ドル[1]と低予算であり、映画全編が監督の自宅で撮影され、7日間で完了した[2]。さらに編集作業は監督が所有するパソコンを使って行われた。
当然ながら監督もキャストもすべて無名の人物である

パラノーマル・アクティビティ

ということだったらしい。モキュメンタリーというスタイルを取るならば出演者は無名の人間に
するべきだったのではないかと思ったり… 

中村蒼も上手いってほどでもないが青山倫子がちょっとアレ過ぎたなw それ以前に全然ドキュメンタリー風映像には見えなかったなぁ。

元々の映画を観ていないのでよくわからないが、釣り糸かなんかで引っ張った十字架がしょぼく燃えたり、突然大きい音を出して驚かしたりするような内容なんだろうか?


アレを中途半端に隠したりするところに製作者側の「これ入れたら評価されるんじゃないか」という感じの人間臭い顕示欲的なモノを感じた。悪魔が何故アレを隠さないといけないのか、隠したわけではないのなら、何故アレはあんな状態だったのかについての疑問が残る。

その他にもどうやって追いついたの?とか入れ替えたにしてもいつ殺したの?それは事件にならなかったの?とか最初にあった死体がなくなって問題にならなかったの?とかそういう疑問だけが残る映画だった。その辺の全てが悪魔や悪霊の力で可能だったと言うなら、なんで今まで殺されてなかったのかよくわからないし、あんな追いかける必要も待ち伏せする必要もないだろう。

いくらホラー映画だからっていい加減過ぎるような気がした。
超常現象で片付けるのは構わないがせめて世界が完結していて、その世界で論理的に成立していないと話としては駄目だろう。ホラーだったら何でも理不尽で良いというわけではない。

世界が完結しているというか説得力がないと物語としては駄目だ。
そういうのを全て吹き飛ばすくらいの何かがあるなら話は別になってくるが、この映画にはそれがなかった。


「映画館で観たら…」とか「電気を消して一人で観たら…」という人は居るが、これ昔ながらの突然音を出してびっくりさせるだけのチープな手法の映画だから、ホラーじゃなくてただのサプライズ映画だな。そういうのが好きな人なら観てもいいかなとは思うが。

『波止場』を観た

波止場

テリー(マーロン・ブランド)は元ボクサーだが、今は波止場で荷役をする日雇い労働者であった。テリーはある日、地元のギャングであるジョニー(リー・J・コッブ)の命令で、古い友人を呼び出し、結果的に殺害に関与してしまう。波止場を牛耳るジョニーが自分の立場を脅かす存在を次々と殺していくことに皆怯え、テリーも逆らえずに居た。しかしテリーは信念に基づき生きることに目覚めていく。

ぼちぼち面白かったけど、絶賛するほどでもない感じだった(・∀・)

観ている時代や国の違いがあるからかな?
あんまり社会派っていうような感じがしなかったなぁ。当時のアメリカではこういう波止場の荷役絡みで問題はあったようだが、別にテリーは正義に目覚めてジョニーに立ち向かったわけでもないので、「社会派なの(´・ω・`)?」というのが観了後の素直な感想だったりするw


友達のジョーイを呼び出して、彼が殺されるきっかけを作ってしまったテリーは初めは保身の為に事の真相を語らずに済まそうとしていたが、ジョーイの妹のイディ(エヴァ・マリー・セイント)と恋に落ち、いちゃいちゃしているうちに、出会い、彼女の悲しみに触れているうちに、また、バリイ神父(カール・モルデン)の口車に乗り、説得により、悩み始めるわけだが、最終的に証言を決めた大元のきっかけは別なんだよなぁ(・∀・)

「スミス都へ行く」でもそうだったけど、この頃のアメリカと鳩は密接な関係を持っていたんだな。この作品の場合では象徴を表す為に使われただけなのかもしれないけど。象徴といえばジョーイのジャケットは勇気の象徴なのかな。


この映画の一番の阿藤快ポイントはイディだなw
最初は「兄さんを殺した犯人を見つけてやるヽ(`Д´)ノ」って金田一少年か名探偵コナン並にやる気満々だったのに、すぐにテリーと良い感じになって、挙句の果て「二人でこの街を出ましょう」とか言い出したりして、ジョーイも浮かばれないなぁと思ったり(´・ω・`) ナンダカナァ

一応話全体を見て、かつ好意的に見るのであれば、バリィ神父の呼びかけがあったからこそ最後の流れにつながったり、テリーを翻心させることが出来たと思えなくもないけど、この人自体は大したことしてないよねと思ってしまった(ノ∀`)

そういえば酒場での説得の時に映った額付き写真に写っているのはジョニーとつながってる政治家かなんかかな? 公聴会の中継シーンの時に、ジョニーからの連絡は受けるなみたいなことを言った人か。組合の小屋にも同じ写真がかかっていたような気がする。


ジョニーという存在やそれに従う人々の気持ちもわからないでもない。
大体現実の世界で生きている人なら普通は事なかれ主義になり、告発者は爪弾きになるもんだ。それが是か非かはともかくも。

現実の話はおいておいて映画の中で証言後に爪弾きになっている時、他の港湾労働者達の表情に後ろめたさが感じられないのに、ジョニーとの対決後に急激にテリー寄りになるのはなんかちょっと変な気がした。

日和見主義なのだろうか。まあこれも現実に即しているのかw


この映画の監督であるエリア・カザン

1952年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるエリア・カザンも共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために司法取引し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に表した。

というようなことをしているらしい。

この映画の中のテリーはエリア・カザンであり、ジョニーや港湾労働者は共産主義者達や同じ映画業界の人々であり、公聴会での証言はアメリカ下院非米活動委員会への報告ということなんだろうか?

テリーが満身創痍でいつもの仕事場へ向かう姿は、行為への批判を受けたエリア・カザンがこの後も変わらず”生きていく”ということをかぶせて表明したかったから挿入したんだろうか。


マーロン・ブランドって後のゴッドファーザーなんだねぇ。
観たことないから、よく知らないけどマフィア物だっけか。
どっちかというとジョニーサイドな役をやるんだなw