カテゴリー: 映画

『悪人』を観た

悪人

保険外交員女性・石橋佳乃(満島ひかり)が土木作業員・清水祐一(妻夫木聡)に殺された。清水は別の女性・馬込光代(深津絵里)を連れ、逃避行をする。
なぜ、事件が起きたのか?事件当初、容疑者は裕福な大学生・増尾圭吾(岡田将生)だったが、拘束された増尾の供述と新たな証言者から、容疑の焦点は清水に絞られる事になる。

映画版を観た限りでは「で(´・ω・`)?」っていう作品。原作はもっと内容が深いのかな?

キャッチコピーは「なぜ、殺したのか。なぜ、愛したのか。」「ひとつの殺人事件。引き裂かれた家族。誰が本当の“悪人”なのか?」。

ということだが、観了後の感想としては
「なぜ、こんな浅い内容に大仰なキャッチコピーをつけたのか( ・´ω・`)?」である。


この内容だと「悪人」というより「愚者」の方がタイトルとして相応しい気がした。
物語を展開させる転機が全て「善悪」云々よりも「愚かさ」に由来してるから。
人を利用し面罵し脅迫しても尚自分が無事で居られるという自己の安全を盲信する佳乃の
「愚かさ」に冷静に対応出来ずに物理的制止を図る祐一の「愚かさ」、介護疲れ故か
催眠商法の偽りの優しさに騙される清水房枝(樹木希林)の「愚かさ」、出会い系で
会っただけの男と簡単に肉体関係になり、何故かそのまま惚れ込んで一緒に逃げる
光代の「愚かさ」。佳乃の父・石橋佳男(柄本明)の行為もまた「愚か」と言えるかもしれない。

佳乃の祐一への一連の口撃は、増尾によって損なわれた自分の"価値"を少しでも多く
取り戻すための悪意または"価値"搾取の為の行為とも言えるが、その増尾の行為を
引き起こしたのもやはり佳乃の増上慢から来る勘違いに起因することを考えれば、
やはり佳乃の「愚かさ」が全ての原因と言える。増尾のキャラは非常に卑怯な
クズではあるが、増尾からは佳乃への接近は図っていないし。

徐々に祐一が母親・清水依子(余貴美子)に育児放棄され祖母・清水房枝(樹木希林)に
育てられた等の擁護的な描写が入れられて、その歪みが明らかになり、佳乃が
その自意識を根幹から揺さぶるようなキーワードを口撃のうちに放ったがゆえに
最終的に犯行に及んだようにも思えるが、やはりその根底には己の歪みに気づかず、
佳乃のような女に執着し続けた「愚かさ」が存在している。

物語だからしょうがないけど、都合の良い「愚かさ」を重ねて展開していくので
観ていてなんだかなぁ(・∀・)(K・A)という気分になった。シリアス物じゃなくて
コミカル物ならその有り得なさ自体が可笑しさへ積み重なって相乗効果を
生み出すんだけどねぇ。


一見、良い人側ポジションに居るように見える、佳乃の父親である石橋佳男(柄本明)も
なんだかなぁと言った感じの人物。人間の性格は必ずしも家庭環境のみで定まるわけでは
ないが、あそこまで歪んだ性格の佳乃が育った家庭環境にはやっぱり何かあるような。
佳乃とも上手くいっている感じではないし、怒った時の振る舞いなどを踏まえると
余り良い人間とは思えない。増尾に向けた怒りは一見すると愛する娘を奪われた怒りの
ように思えるが、その実、娘を所有物として考える支配的な親にありがちな自己の世界の
"価値"を損なわれたことに対する怒りのように思える。それは増尾によって"価値"を
損なわれた佳乃による祐一への口撃行動と大差ない。親子故の類似行動パターンか。

増尾への怒りの内に本人は自覚していないだろうが、娘が出会い系サイトを利用して
売春行為をし、挙句の果てに殺されるという自らの"価値"を大きく損なう事象を
引き起こした佳乃自体への識閾下の怒りも含まれているようにも思えた。

おそらく作品のテーマ若しくは軸の一つであると思われることを指し示す
「あんた、大切な人はおるね?」という言葉を佳男は言うのだけれど佳男は佳乃から
大切な人と思われていたのだろうか?大切な人が存在するのは良いのだが、
その相手からはそのように思われていない、独り善がりな愛情という名の
支配によって佳乃をあんな人間に育て上げてしまったのではなかろうか?
佳男は本当に純然たる被害者側の人間なのであろうか(´・ω・`)?

清水房枝の家庭もこの事件で崩壊したような感じの描かれ方だったけれども、清水依子が
祐一を棄てている段階で既に崩壊しているし、そう言った行為に走る依子の生育過程は
どうだったんだろうかと考えるとやっぱり何らかの問題のあった家庭環境であったので
はなかろうか?

バスの運転手と鶴田公紀(永山絢斗)辺りくらいか比較的まともなのは。


馬込光代役の深津絵里と増尾圭吾役の岡田将生と石橋佳乃役の満島ひかり辺りが
演技的には良かったかな(・∀・) まあ馬込光代のキャラ設定がなんか変なので、
その部分は他の二人に比べると首を傾げざるを得ないけれど。

あと中途半端な濡れ場は要らなかったw
灯台のシーンや「もっと早く会っていれば」とかもなんだかなぁ(・∀・)(K・A)

灯台のシーン辺りからダれていい加減に観てしまったので勘違いしている可能性も
あるが、最後の祐一の行動は光代を救う為の行動であり、自分とのつながりを
完全に断つ為の、つまりは光代の祐一への好意的な感情すらも断ち切る為の行動
だったのかな?祐一が警察から逃げて来た光代を追って来た警察が灯台に近づいて
来たのを察知して咄嗟にああいう行動を取った…ように思ったけど、自信がないw

何故に光代はああも簡単に惚れ、出頭を止めて逃避行までしたのかが謎であるが、
それ以上に最後にタクシー運転手に尋ねるのはなんでじゃろと思った。
祐一の行動の真意に気付かずに自らの気持ちの混乱の果てに聞いたのか、
「悪人」って何だろうかという作者等のテーマ提示を代弁させられたのか。

樹木希林は「歩いても 歩いても」の時のような鬼気迫る鬼気希林ではなかったので
微妙な感じだったなぁ。


まあ深津絵里、満島ひかり、岡田将生・妻夫木聡辺りが好きなら観たら?程度。

『マダガスカル』を観た

マダガスカル (映画)

ライオンのアレックス、シマウマのマーティ、キリンのメルマン、カバのグロリアは親友同士。ニューヨークにあるセントラル・パーク動物園でそれなりに快適な生活を送っていた。しかし、ある日シマウマのマーティは、野生の世界への憧れから、動物園を脱走してしまう。そしてマーティの脱走を知ったアレックス達も、彼を動物園へ連れ戻そうと、脱走騒ぎを起こしてしまうのだった。結果、脱走は失敗に終わったが、動物達をアフリカ・ケニアの自然へ送り返すことが決まる。そのアフリカ行きの船旅の途中で障害が発生し、4頭が流れ着いた先はアフリカ大陸ではなく、マダガスカルだった。

つまらなくもないけど、面白いかというとちょっと微妙か(´・ω・`)
声を当てた俳優たちの所為か、あんまり主人公サイドに愛着が湧かなかった。
グロリア役の高島礼子は良かったけど、他のは皆、その人そのままだった。
アメリカ版のアレックスはベン・スティラーが声を当ててたのか。
「メリーに首ったけ」の人だな(・∀・)

「マダガスカル2」か「マダガスカル3」のどちらかの最初だけ
ちょっと観た記憶がある。アフリカのお父さんライオンと一緒に居たような。

キャラ的にはペンギンたちの方が魅力があって面白かった(・∀・)
アンタッチャブル時代のザキヤマと柴田が声を当てていたらしいが、
隊長役のザキヤマは良かったかな。まあ大した台詞はなかったけどw

「ペンギンズ」というスピンオフがあるらしいのでそれはちょっと観てみたい。


特に引っかかるところがなかったので、特筆すべきことがない(ノ∀`)

『いつでも夢を』を観た

いつでも夢を(1963)

東京下町の工場地帯で夜間高校の生徒たちなどの葛藤を描く。
いつでも夢を (映画)

えーとまあ青春モノですな(・∀・)

吉永小百合と浜田光夫の恋愛物に、同名曲を吉永小百合とデュエットした
橋幸夫と就職要素を突っ込んで来て恋愛色よりも青春色を濃くした感じ。

橋幸夫が出演してるからというよりも昔の映画にありがちな唐突な歌唱、
合唱が多く、その辺が合わない人には向いてないかもしれないw

時代背景等がかけはなれているということもあり、今の若い人が観たら
「で(・∀・)?」っていう感じのストーリーなので賛否は分かれるかな。
つまらないとまでは言い切れないけど面白いとも言えない感じw
時代のギャップを楽しむ分には面白いかも。東京タワーへ行く道中の
古い車で混雑する風景も色々と貴重な気がした。


相変わらず
( ´・ω・)。oO(吉永小百合は爆弾岩だな…パンッパンッやで…)
と思いながら観てた。松本秋子役の松原智恵子は可愛かった(*´・ω・)
今でも綺麗な顔立ちだけども若い頃はこんなに可愛かったんか。

浜田光夫が演じる木村勝利の母・あいを演じる初井言栄と
橋幸夫が演じる岩下留次の相棒・金造を演じる野呂圭介くらいしか
知ってる人が居なかった(ノ∀`)

野呂圭介は良い味出してたな。

橋幸夫は演技はともかく歌が上手かった。当たり前かw


まあなんやかんやでハッピーエンドになるのでその辺はいいけれど。
サユリストだったら観たらくらいで( ・∀・)ノシ → ナゲヤリナカンソウ

『風花』を観た

風花(1959)

信濃川の流れが山々の間を通り抜けると信州善光寺平である。県道に添った名倉家で結婚式が行われ、花嫁のさくら、祖母トミ、兄夫婦はやがて車に分乗して出発していった。見送っていた春子は息子の捨雄の姿が見えないのに気づいた。胸さわぎを覚え、川辺へ向って駈け出した。土手の上まで来て立ちすくんだ。捨雄が水を蹴って深みに向っているのを見たのだ。彼女は夢中で追いすがった。

短編の純文学小説みたいな映画だった(・∀・)

現在と過去が交錯しながら話が進んで行くのが最初はわかってなくて
(´・ω・`)?となったがすぐ慣れた。

形骸化した家族、というよりかもとより愛なき"イエ"で育った名倉さくら(久我美子)が
友人の乾幸子(有馬稲子)の言葉により自らが壊れずに来れたのは名倉捨雄(川津祐介)の
存在によるものだと気づくも時既に遅しというかいずれにしても許されなかった関係に
心を残し嫁に行き、残された捨雄は母と共に呪われた"イエ"を後にするのが主軸?

名倉強之進(永田靖)の死後、諸悪の元凶のようにも思えた名倉トミ(東山千栄子)もまた
"イエ"を憎む犠牲者の一人だったんかなと思えた。さくらの嫁ぎ先の決まった後に
吐き出した台詞を聞いていたら、なんだかそう思えた(´・ω・`)


解説には、

昨年帰国した岸恵子のために、「この天の虹」の木下恵介が書下し監督した農村メロドラマ。

とあったけど、岸恵子が演じる捨雄の母・名倉春子は脇役のような。

帰国ってなんだろうと思ったら、

1957年:『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピ(Yves Ciampi)と結婚。フランスで、作家・川端康成の立会いのもと挙式。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた。この頃に、サルトル、ボーヴォワール、マルロー、コクトーらと親交を持つ。
岸惠子

フランス人監督と結婚してたんか。

有馬稲子は綺麗だったが、演じていた乾幸子は支離滅裂なことを言うキャラだったw
言っていることに信憑性がないというか、異常な感じのキャラだった。
さくらの気づきを促す為だけの存在だったような。

笠智衆が若かった(・∀・)


まあ風景は綺麗だったし、純文学っぽいものだと認識して
観る分には良いのではなかろうか(・∀・)